今日は俺の大好きな或るバンドの話をしよう。
キャリア10年位の演奏も上手くてメロディーも素晴らしくヴォーカルの説得力もしっかりあるウタモノロックと思ってくれ。
歳は30を少し超えたあたりだろうか。
彼等がうちに出演するようになってから7~8年は経つだろう。
当時は少しづつではあるがそれなりに都内各所で名前が浸透し始めた頃だ。
バンドというものは何処でどんなチャンスを掴むかは誰にも分からない。
そのチャンスがめぐって来た時にどれだけの力を持っているかでものに出来たり逃したりという事になる。
偶々時代の流れに乗ったスタイルだからというだけで美味しい話に乗ったとしてもバンド自体に実力が無ければそれは論外ではあるが。
そんなバンドは可哀想だが大きなものにいいように利用されるだけというのが実情ではある。
飯の種になっている内はいいが中身の薄さを見透かされた時にお払い箱というわけだ。
未だ土台が出来上がっていないのに次から次に重い物を乗せたら必ず崩れ落ちるのは当たり前なんだから身の程をしっかり見つめなければならないとも言える。
そして例のバンドの話に戻ろう。
彼等には揺ぎ無い程のしっかりした土台は出来ている。
だが一度チャンスを逃した。
逃したというよりも敢て見送ったという方が正しいと思う。
時期尚早と自ら判断したんだ。
それは正しい選択だったと思う。
そして数年経ち機は熟した。
だがチャンスは一向にやって来ない。
そこで悩むわけだ。
俺たちはこれで本当に良かったのかと。
このままバンドを続けて行くべきなんだろうかと。
既に家庭を持ち子供も産まれたメンバーもいる。
正念場だ。
彼等にとってのロックとは何なのか。
飯を食う為の単なる道具なのか。
それともロックの本質でもある怒りや主張なのだろうか。
これは彼等だけの問題ではなく或る程度の年齢に達したバンドマンの多くが直面する悩みだ。
E!E!E!気持ちE!と歌っていた清志郎を想い出す。
ロックの何が気持ちEかってやっぱり心の開放が気持ちEんだ。
このEの為に俺達はやり続けるぜ!って彼等にも叫んで欲しい。
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