ここのところ何だかんだとやる事が多くて事務所を出るのが朝方だ。
元々そうだったんだがそれに輪を掛けたように帰宅時間が遅い。
いや、正確には早い。
だって夜中を通り越して完全に朝だもんな。
そして、決まってその頃には猛烈に腹が減るので夜食のはずの朝食を食べて帰る毎日になってしまった。
そんな時間に行く店は立ち食い蕎麦屋と相場が決まっている。
喫茶店でコーヒーを飲みながらなんていう程、時間の余裕は無いし牛丼は流石に重過ぎる。
というよりも蕎麦が好きだから行くというのが本音だが。
そんな朝の6時の立ち食い蕎麦屋にもドラマがある。
働いているのは大抵爺さんか婆さんだ。
そして、お客は出勤前のサラリーマンか酔い潰れた酔っ払いの親父だ。
酷い時はお客全員が寝ている時もある。
この時間に歌舞伎町の喫茶店に行くと大勢のホームレスが占拠して全員寝ているという凄い光景に出くわした事が何回かあるが未だ未だ及ばないにせよ三軒茶屋もいずれそうなるのかもしれない。
だが、店を預かる爺さん婆さんは元気だ。
おそらく深夜からぶっ通しなんだろうが威勢がいい。
同じ時間に働く牛丼屋やコンビニの無愛想で青白い顔をした若造とはわけが違う。
この差はいったい何故なのだろうか?
やはり生命力の強さが根本的に違うのだろうか?
体力ではどうひいき目に見ても若者に分が有るのは当然だ。
そうなると精神力か?
若者のあまり好まない言い方をすれば根性だな。
精神力と根性では意味合いとしては若干違うが年寄りからすれば同じ意味だもんな。
っていうか根性だけで皆乗り切って来たんだもんな、昔の人は。
俺は丁度その中間的な世代なわけだけどやっぱりそんな爺さん婆さんが大きな声でいらっしゃいとか言ってくれたりすると元気を貰った気にもなったりして嬉しいもんだ。
何でもかんでも合理的になって人付き合いまで合理化された世の中だけど本当にこれで良いのかなぁなんて思う事ってないか?
あの元気な年寄り達を見ていると毎回そんな事を考えさせられるんだ。
根性と合理主義って誰もが一つになれると思っているのかもしれないが今のところ境界線はしっかりあるような気がするなぁ。
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