とうとう菅さんが、総理大臣を辞める事になった。
と言っても毎年のように総理が替わるから別にって思ってる人の方が多いのかもしれないな。
自民党から民主党に替わって何年だっけ?
あの時は、流石に政治に対する注目度も上がったが結局元の木阿弥になりつつあるような気がする。
もう、誰が総理大臣になってもどうせ直ぐ辞めんだろって思われても仕方ないもんな。
なんでこうなっちゃうのかと言うと一言で力不足って事なんだと思う。
政治は、やっぱり数の論理で成り立つ世界だ。
多数決で数の多い方が意見を通せるという事になる。
となると、自然と子分をいっぱい抱えている親分が最も影響力を持ってるって事だ。
与党民主党で子分を最も抱えているのは、小沢さんだ。
他の親分の2倍から3倍という人数になる。
だから小沢さんが支持すると言った人が、最も党代表イコール総理大臣になる確率が高いという事になってしまう。
実におかしな話だろ?
でも、これが長年の日本流政治なんだ。
自民党時代には、こういうのを派閥と言っていたが、今も尚、何々派という名称が何とか研究会なんてインチキ臭い呼び名に替わりはしたもののしっかり存在している。
数の論理という根本的仕組みが覆されない限りこれからもこういったシステム自体に変化は起こらないだろう。
かつての総理大臣田中角栄の言葉に政治は数であり、数は力、力は金だというのがある。
大っぴらに言えないような事を堂々と言っちゃう所があの人の魅力でもあったと思うが、まともに聞いてりゃあ酷い話だ。
金さえ有れば政治も買えるって事だもんな。
だけど、これが、日本の政治なんだよ。
そして、そんな世界の魑魅魍魎達を選出しているのが日本人全体の姿なんだよ。
これは、だから国民全体に責任が有る無いの話じゃなくて或る意味国民性のなせる業だと思う。
ちょっと分かり辛い言い方をしちゃったが、要するに大多数の中に入り込んで自分は、安心できる居場所をキープしつつ、責任の掛かる部分は、ボスに任せとこうっていうセコい了見の仕業だって事だよ。
日本人は、世界一勤勉で頭も良いし心の優しい人も多いと思う。
こういった部分は、誇りに思うべきだと俺も思う。
だけど、大きく欠けているものもあると思うんだ。
それは、ハートの強さだ。
根本的に気が小さいと思う。
だから大きな物に吸い寄せられてもそこで自己主張したり反発したりじゃなくてそれを安住の地のように思っちゃうんだよ。
こういう姿勢は、海外に行けば一目瞭然でもある。
おどおどしてたり隅っこにいたりするのは、大抵日本人だからね。
かつての坂本龍馬じゃないが、敵陣に一人で乗り込んでいって正義で捻じ伏せるなんていうのが日本人の美学でもあった筈なのに情け無い話だと思わないか?
正しいと思ったら、例え賛同者が一人もいなくたって自分の意見を貫き通すのが本当の意味での自立した責任ある大人ってもんだと思うんだけどな。
たとえ今の政治の世界でも、全身全霊を込めて正義を主張する者がいたら俺は、数の論理にも勝てると思うんだ。
人間一人のエネルギーって物凄い力があるんだぞ、本当は。
そこで気の弱さが顔を出してやっぱり駄目かもなんて一瞬でも過ぎっちゃうから負けちゃうんだよ。
本物の日本人、本物の政治家、そろそろ出て来いや!
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