人間、どんな時でも平常心を保つ事が大切だ。
と、頭では分かっていてもそれを実践する事は非常に難しい。
それは俺自身にとっても同じ事だ。
他人の行動を見ていて、あ~あ、あいつ気持ちが乱れてんな。
あの程度で平常心を保てなくなるんじゃ駄目だろ。
なんて偉そうに思っていてもじゃあ自分はというと全然大差無い事に気付く。
勿論、若い時に比べれば多少は自分を失うという事が少なくなったかもしれない。
だけど、所詮大したレベルじゃないのは分かっている。
だが、世間一般によく使われるようになったこの平常心という言葉は若干間違った解釈をされているように思う。
平常心というのは実は物事に動じないという意味ではない。
ありのままの自分の心というのが正解だ。
それってなんか全然簡単な事じゃんって思うだろ?
そう、凄く簡単な事なんだ。
だけど99%の人がそんな境地まで辿り着く事が出来ない。
それは何故かというと人間には煩悩というものが有るからだ。
じゃあ、その煩悩は何処から湧き出て来るのかというと殆どが比較する心から生れるんだ。
よく考えてみてくれ。
怒ったり落ち込んで自分を嫌になったりとか悔しい思いをしたりとかって大抵自分と誰かを比較していないか?
あいつ上手い事やって頭に来るとかって自分と比較してるからそう思うんだろ?
いくら勉強しても成績が上がらなくて自分が嫌になるって思う時も成績が上の人がいるからそう思うんであって皆が成績が悪ければそこまで自己嫌悪に陥るなんて事は無い筈だ。
平常心っていうのはそういった煩悩の世界を飛び越えた所にあるんだ。
簡単に言えば幼児の頃のような無垢で純真そのものの心の部分だよ。
なっ、簡単で難しいだろ?
難しいのは日本みたいに狭い所に大勢人が居るっていうのもかなり原因になっていると思うんだ。
例えばこれが無人島なんかに住んでいたとしたら自分と比較する対象が無いんだからかなり平常心でいられると思うよ。
でも、そこでまた都会だったらあれがあって便利なのにとか比較の気持ちが出てきたら結局同じだけどね。
う~ん、なんで皆自分で自分を苦しめるんだろうね?
簡単に生きる事が一番難しいってのはやっぱり人間が厄介な生き物だからなんだろうな。
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