今日、ステージで奇跡について話していたヴォーカリストがいた。
彼の言うには奇跡なんて滅多に起こらないから奇跡なんだと。
確かにそうなんだがそういう当たり前の発想を語られてもだから何?となってしまう。
やはり、個性溢れる音楽を聴かせているんだからここはやっぱりほほ~というような事を言って欲しかった。
奇跡は常に起こっているみたいなね。
そうなんだよ、勿論、彼の言った事は間違っているわけじゃないけど、ちょっと発想を変えると奇跡は毎日というか常に起こっている事になると思うんだ。
奇跡っていうのは何かが起こるという現象なわけだろ?
だけど、その現象という結果が実現する前には色んな選択肢というか、過程があった筈だよね。
例えば、今俺はミルクティーを飲みながらこのブログを書いている。
それは、ちょっと胃の調子が悪いので胃に優しい物を飲みたかったからだ。
だけど、本当はミルクティーじゃなくても良かった筈で、暖かいお茶とかレモンティーとかでも構わなかったと思うんだ。
そうすると、偶々胃の調子が悪かったという事と何か飲み物が欲しかったという部分、他にも時間とか環境とか幾つもの原因があって更に何種類かあった飲み物の中からミルクティーを選んだという現実、これって奇跡の積み重ねの結果と言ってもいいんじゃないか?
もっと違う角度から話してみようか?
大リーグの代表的選手でもあるイチローは子供の時からプロを目指していたんだと思うけどその頃から今の状況を想像すれば、それは奇跡って誰もが思った筈だ。
だけど、そうなる以前に本人の並々ならぬ努力とか日本のプロ野球の中での出会いとか経験とかアドバイスもそうだし結婚してからの奥さんのカロリーコントロールとか沢山の要素が重なって現在に至っているわけだよね。
こういう経過の部分を知っているとイチローだったらあり得るとか彼ぐらいプロ意識が高ければ当然の結果だとか言っちゃって奇跡って言葉は誰も使わなくなっちゃうだろう?
そうじゃないないだろ?って話だよ。
子供の時に野球をやっていた事もオリックスに所属していた事も奥さんとの出会いも全て奇跡なんだよ。
その中のどれかが欠けていたら今の結果は違っていた可能性は結構大きいと思うんだ。
単なる音楽好きの生意気なガキが大人になってライブハウスを経営しちゃったとなれば奇跡かもしれない。
だけど、その積りでそうなるようにこつこつと経験を重ねてきた側からすると普通の結果なんだ。
そんな事よりも色々な人達との経験、貴重なアドバイスを貰った事、応援し続けてくれた当時の彼女との出会い、加川良、吉田拓郎、泉谷しげるの歌に出会った事、一文無しなのに金を貸してくれた銀行があった事、そっちの方が奇跡だと俺は思うんだ。
そうなると、俺達は常に奇跡の中にいるという事になる。
なんか凄くないか?
だから、瞬間、瞬間を生き切らなきゃいけないって言っただろ?
瞬間、瞬間の奇跡の積み重ねで人生は大きく変わっていくものなんだと思うよ。
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