昨日は随分暖かくてまるで春のような一日だったね。
なんて天気の話から始めるようじゃあ年取った証拠になっちゃうのでそんな話はやめにしよう。
さてさて、今日は何の話をしようかとバイクに跨り考えながら家路を急ぐのが既に日課となっている。
因みに去年買い換えたこのマシンは並みの代物ではない。
エンジンは原付ではあるが車体は100CCでステアリング周りは全取っ替えのカスタムでそのうえ海外からの逆輸入車だったりするんだ。
最近の原付は色々規制が入って4ストロークエンジンしか製造許可が下りなくなったらしいがあの妙に安定性のある走りはどうも好きになれない。
そんなわけで俺のスペシャルマシンは当然2ストだ。
高回転型エンジンだからうるさいし燃費も良くないうえに環境にもよろしくない。
じゃあ、何が良くてそんなの乗ってるのかと言うとやっぱり気持ちいいんだ。
毎日乗るものだから気持ち良くないとつまんないだろ?
バイクなんて興味無いからどうでもいいってか?
ああ、そうかいそうかいって事でそんな帰り道に思ったんだが店から家まで歩いて帰ったら1時間近くかかるんだろうなって。
そんなくだらない話してどうすんだだと?
馬鹿野郎!話は最後まで聞きやがれ!
歩いて1時間、チャリなら30分、バイクなら早朝で道が空いてるから10分だ。
誰だって歩くより自転車の方を選ぶし免許があるならバイクを選ぶよな?
この例を採っても人間は文明の進化と共に全てが便利で楽な方を選択する事が正しいと思っている。
だが、ここで踏み止まって少し考えてみて欲しいんだ。
科学や技術が進化して楽な道を選択する事が本当に文明の進化なのかどうかを。
この通勤時間の事を例にとってみたとすると確かにバイク通勤なら50分短縮されるがその50分で何をしているかってところだ。
大方の人はその分何かを詰め込んで忙しない生活をおくっているんじゃないか?
携帯電話の普及にしても確かに便利ではあるけど引き換えに束縛感というか自由な時間を奪われていると思わないか?
俺が生まれたのは昭和30年代なんだが世間ではよくその頃の事を古き良き時代って言うだろう?
あの頃って皆一生懸命生きようとしていたけど時間には余裕があったんだ。
朝ごはん、夕ごはんなんか家族全員揃ってがどの家庭でも当たり前の事だったし道端でキャッチボールしてる親子や泥だらけになって遊んでいる子供達もいっぱいいたし。
なんか皆心にもっと余裕があったと思うんだよ。
皆というか町全体がそうだったんだよ。
科学や技術の進化って皆が幸せになる為のものの筈だろう?
昔を知っている俺からすれば絶対に逆行しているよ。
不幸になる為に進化しているようにしか見えないんだ。
文明の進化ってそうじゃない筈だ。
俺はバイクに乗って50分得してる分、心の余裕も50分損してるのかなってスペシャルマシンに問いかけてみたんだ。
そしたらギュイーン、ギュイーンって返事してたぞ、あいつ。
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