夜中の3時過ぎに家に帰ると或る映画を放送していた。
俺好みのシンプルでアーティスティックな作品だ。
頭から観る事が出来なかったのでネットで中古品でも探してみる事にしようと思う。
そんな事を考えていたらアートという言葉が妙に気になってしまった。
アートって普段普通に使っている言葉だけどその定義はというとスッと出て来る訳ではない。
そんなの芸術に決まってるだろうって言うんじゃ日本語に訳しただけだし。
という事でウィキペディアで調べてみると表現者あるいは表現物と鑑賞者とが相互に作用し合うこと等で精神的、感覚的な変動を得ようとする活動とある。
って事は鑑賞者というか受け手が居なければアートとは言えない事になるのか?
これはちょっと意外な答えだ。
そうすると同じ作品でも世の中に発表されればアートだが眠ったままならその段階ではアートじゃないというふうになってしまうじゃないか。
じゃあ未公開作品がアートじゃないんなら何なんだ?
自己満足のオナニーって言いたいのかな?
それが正しいなら例えばうちみたいなライブハウスで所謂アーティスティックなライブをやったとしてもお客さんが一人も居なければそれはオナニーでしかないって事になる。
だけど音響や照明やドリンクのスタッフが居る訳だからそうなると何て言うんだ?
彼等に何か伝わればアートだけど何も感じなければアートじゃ無いって言うのかな?
金払ってないからアートじゃないっていうのも何か変な話だしな。
まあ、それだけ微妙な物って事だけは確かだと思うけど。
こういう微妙な物を排他しようとする人も少なからず居ると思うが確かにアートが無くても死ぬ訳じゃないから一方的に否定はしない。
俺だって生きるか死ぬかの状態になったら優先順位は飯食ったり眠ったり糞したりの方が先だしな。
ならばアートっていうのはいったい何なんだという出口の無い入り口みたいな場所に辿り着くが俺は心の栄養だと思うんだ。
言い換えれば潤いだ。
心の潤滑油とも言えるかもしれない。
だからアートに無縁の生活を送っていると実につまらない人間になってしまう様な気がするんだ。
そして潤いが無いから心に余裕も無くなり果ては人間にとって最も大切な思いやりも無くしてしまうって事にもなりかねないと思うんだ。
今の日本を見てみなよ。
思いやりの欠片も見当たらない様な事件が毎日起こっているだろう?
そんなニュースになる様な出来事意外でも街を歩けば人にぶつかろうが何しようが関係ねぇって連中が殆どだ。
潤いが足りないんだよ。
足りないどころか枯渇状態だ。
皆、こんなんでいいのか?
つい先日渋谷の道玄坂を歩いていた時に居酒屋の帰りらしき若者達が道に溢れていた。
俺はこれじゃあ通れないから迷惑だろって言ったんだ。
そしたら彼等はどうしたと思う?
一瞬俺の方を見ただけであとは何事も無かった様にまたくっちゃべっているんだ。
変なおっさんが何か言ってるみたいな薄ら笑いしながら。
ゾッとしたよ。
こいつ等何なんだ。
謝るなり突っ掛かって来るなり無いのかよ。
これじゃあ馬鹿なのは俺の方みたいじゃないか。
怒りよりも恐怖を感じたよ。
最近の若者に対して薄々感じてはいたがこんな大勢の中で一人も人間らしい反応をする奴がいないなんて。
全く悲しい国に成り下がったもんだ。
俺が子供の頃の人情味のある人達は何処へ行っちまったんだよ。
この日記を読んでくれている人達の中にはミュージシャンが多いと思うのでそんな君達にお願いだ。
今こそアートの力でこの乾き切った世の中に潤いを与えてくれ。
君等の力が必要なんだ。
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