俺が子供の頃は今頃の時期になるとお中元がどうのこうのと煩かった記憶がある。
子供心に贈ったり贈られたりして結局面倒臭いだけじゃないかと思っていたものだ。
中元というのは元々は7月15日に神に供える供物を親戚や近所の人達に配るという習慣からきているらしい。
それに対して歳暮というのは年末に実家に帰れない人達がせめて神さまや先祖の霊に供物を供えてもらう為にそれを贈ろうというところから始まったらしいぞ。
だけどそんな意味が解っている人がどれだけいるんだろうか?
流石に最近の若い人達は中元、歳暮なんて縁が無いって人も多くなったと思うけど。
自慢じゃないが俺はこの方一度もそんなものを贈った例がない。
だって本来の意味から完璧に逸脱してるだろう?今の中元や歳暮ってさ。
贈る側だって毎年贈られて来るから仕方なく贈らなきゃいけないみたいなもんなんじゃないのか?
そんなの只の偽善行為じゃないか。
本当にお世話になったからその気持ちを表したいってんなら手紙を書くとかすりゃあそれで済むんじゃないのかな。
先祖の霊に感謝するなんて行為は俺は非常に良いことだと思うけど現代の中元、歳暮は悪習と言ってしまって構わないと思うよ。
そこに心なんて込められて無いんだから。
それに輪を掛けて面倒臭いのはその中元が少しずれると暑中見舞いになってもっとずれると残暑見舞いになったりするとこだ。
そんなの贈るのが遅くなった時の言い訳じゃねえか。
それか贈ってもいない相手から届いちまったんで贈り返す時のばつの悪さを正当化しているだけだろが。
誰かのお世話になったんならその時に心を込めてお礼を言う。
言いそびれたんなら電話だって手紙だって良いじゃないか。
心を込めてお礼を言われりゃそれが一番嬉しいんだよ。
それがなんで物々交換の儀式なんだよ。
うちの母親なんかハムとかだったら喜んでたけど石鹸とかカルピスばっかり貰って困るって言ってたぞ。
話は元来の中元に戻るけど近所の人達に供物を配るというのは凄く良い事だと思うな。
お裾分けみたいなもんだろう?
最近じゃあご近所さんとの交流なんて少なくなったしなあ。
昔は残っちゃったから食べない?なんて隣の奥さんのお裾分けなんかもあったのに今じゃあ選挙の時だけ公明党お願いねって来るだけだし。
それで思い出したが俺が未だ20代でぼろいアパートに住んでいた時の事だ。
夜中にベランダを伝って隣のおねえちゃんが部屋に入って来た事があるんだ。
何回かちょろっと話をした事は有ったがそれがいきなりだからびっくりしていると勢いよく服を脱ぎだして俺の布団の中へ潜り込んだんだ。
有り難いお裾分けだ。
こういうお中元なら7月15日に限らずいつでも頂きます!!
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