私、市川海老蔵さんと真剣に交際しておりますってニュースZEROのキャスターがテレビで言っていたんだがどうせ上司に言わされたんだろうけど何かちょっと可哀想な気もしないでもない。
なんでそんなプライベートな事を公の場で話さなけりゃならないんだとも思うが相手が超が付くくらいの有名人だから仕様が無いのか。
日本ではこういう事が極当たり前に行われているがちょっと変だとは思わないか?
この2人を大人として扱うんだったら全ては本人達の自由だし他人がプライベートの部分まで立ち入る権利も無い筈だろう?
そこまで媚を売らなきゃやっていけないっていう世の中のシステムはあまりにもお子様向けだと俺は思う。
真剣に交際してますって言い方だけどそれはセックスもしてますって言わされてるみたいで不自然なんだよ。
男と女の関係は本人達だけの大切な宝物みたいなものなんだからいくらテレビに出ているからって言ってもそっとしておいてあげるのが大人の対応だと思うんだけどな。
そんな大切な宝物を探す為に人間界に戻った青年の話の続きを今日もしなくちゃな。
トランペットと出合った事で音楽の才能を花開かせた彼はミュージシャンとしての道を確実に上り詰めて行く事になる。
その一方で彼女の方はと言うと今迄の順風満帆な人生から一気に転げ落ちる様な不幸に見舞われてしまうんだ。
愛する夫とはすれ違いの時間が多くこれが原因で離婚せざるをえなくなってしまう。
不幸は続くものでその後、自分にとっての最大の理解者である父をも亡くしてしまうんだ。
まさに踏んだり蹴ったりの悲しみのどん底だ。
打ちひしがれた彼女はただ闇雲に街を彷徨う。
そんな時、いつもなら運転手付きの高級車で移動する彼は何故か街を歩きたいという衝動に駆られ一人で車を降りるんだ。
生きる勇気を失いかけて街を彷徨う彼女。
この直感の様なものは何だろうと歩き続ける彼。
2人の距離は縮まっていく。
もう信号の向こうとこっちだ。
信号が青いWALKに変わる。
距離が縮まる。
もうすぐだ。
そしてすれ違う。
すれ違いざまの一瞬に2人の心に微かな何かが蘇る。
それと同時に激しくなる胸のときめきは以前何処かで感じたような・・・。
はっとして振り返る2人の間にもう距離は必要無かった。
さて、これで話は終わりなんだがなかなかロマンチックだったろう?
それだけじゃなくてあの世とこの世は表裏一体って部分も上手く表現出来ていると思うんだ。
前にも話した事があるけど運命っていうのはある程度の幅のある大通りみたいなもんだと思うんだ。
そこをずっと歩いていく訳だけれど自分の意思で左右に寄ったり立ち止まったりUターンしたり時には小道に迷い込んで通りの外にはみ出してしまう事も出来ると思う。
だけど本来の道筋は出来ていると思うんだ。
そして道半ばで出会う人、出来事なんかは別の次元で自分の魂が体験した事と関係性を持っている場合が多いんじゃないかというのが俺の説だ。
それと共通する部分を沢山持っているのがこの映画って訳なんだ。
運命の赤い糸ってよく言うがそういう意味合いの出来事は恋愛に限らず間違い無く存在するという事を4日間かけて言いたかったんだ。
ふぅ~疲れた。
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