コロナ、コロナの毎日でみんな疲れちゃうよな。
コロナはこれからもずっと続いていくが、あと半年頑張ればインフルエンザと同類になる。
でも半年は短いようで結構長い。
うちは4月16日から5月いっぱい休んだのをみんな知ってるだろ?
それって給付金をもらう為だったんだろって思ってた人は結構いたかもしれない。
対象の日にちがドンピシャだったからね。
今はもう時間が過ぎたから言える事だが、そうじゃないんだ。
理由は数人のスタッフと何人かの大切な人にしか話さなかったからそう思われても仕方ないよな。
弟がコロナで死んだんだ、4月15日に。
頭の固いこの国のシステムに弟は殺された。
症状が出て4日間自宅待機ってあのコロナに対してどうすりゃいいのか今よりずっとわかっていなかった時の国の、保健所のやり方の犠牲に弟がなってしまった。
弟が亡くなる前日に俺は電話で彼の声を聞いた。
ざらざらした声ではぁはぁ言いながら4日経たないと検査出来ないらしいと、
そんな事ってあるのか?
俺は彼があきらかに重篤な状況にあると察し、直ぐに兄に連絡を取った。
兄も心配していたが、明日が4日目だからという事でお互い時間の過ぎるのを待つことにしたんだが、、
翌日兄から弟の死を知らされた。
最悪だ。
俺はとにかく泣き続けるしかなかった。
悲しさと悔しさと苦しさで気が狂いそうだ。
たまに電話はしていたが、数年に一度会う程度の兄弟の死が俺をとてつもなく深い井戸のどん底まで突き落とすとは予想だにしなかった。
家族とはそういう存在だったんだと改めて知らされた思いだ。
ギリギリまで踏ん張っていたが、もう無理だ、こんな状態でスタッフやバンドマン達に発破をかける事なんて出来やしない。
むしろもうやめたい。
2週間後、俺は静まり返った事務所に通い詰めていた。
6月以降のブッキングを始めていたんだ。
出演出来ないバンドは今もそうだがあの時は今の比ではなかった。
家族の事、仕事の事、守らなきゃならない人の事、
その選択は、全然間違っているとは思わない。
それでも1日も穴を開けずにスケジュールを埋める事が出来たのは奇跡的だった。
出演を決めてくれたバンドには感謝しかない。
今もギリギリは続いているが、確信は強くなった、
ロックンロールはコロナに負けない。
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