俺は本を読む時でも大抵裸眼なんだが、物凄く疲れている時の読書の為用の眼鏡を持っている。
そんな時に本なんか読んだりしなきゃいいだけの話じゃないかと思うかもしれないが、そうじゃないんだ。
これは、自分が今まで出来なかったことを死ぬまでに取り返す為の作業の一つのような気がちょっとしている。
俺は、一生の内に読むべきというか、出会うべき本を全然読んでいなかった。
だからその帳尻合わせをやってるだけなのかもしれない。
本を読んでこなかった分、映画を多いときは月に70〜80本とか観ていたからそれで納得していたんだと思う。
これは誰もが当然のようにというか、見下す気持ちも込めてよく使う言葉だが、映画は原作を越えられないというのがある。
真っ当な人が一生の内に観る映画の数倍を既に観倒してきた俺様からすると、その言葉は間違っている、と思っていたんだが、今となっては完全否定出来ない。
いや、それどころじゃない。
残念ながら90%は、当たっていると言わざるを得ない。
その原因は、やはりビジネス的な部分が割り込んでくる割合が、映画の方が数倍多いからだと思う。
本だって完成するまでに色々な人の手が入るが、根幹の部分には踏み込まない仕組みになっている。
だが、映画は違う。
一般受けを狙って結末まで変えてしまう事も珍しいわけではない。
こうなってくると原作に対する冒涜とも受け取れるが、映画が当たれば結果的にそれで原作も売れることになるんだからいいでしょっていう一見正論のような間違った理論が罷り通ってしまうことになる。
人間が集中力を持続出来るのは、大人の場合90分だ。
これに諸々取り繕って120分。
演劇の舞台を観ればわかりやすい。
途中で必ず休憩時間があるだろう?
あれは、出演者が疲れるからじゃなくて観る側の集中力を考えてのものだからね。
映画は、その120分で勝負しなきゃならない。
短いから不利だと思われがちだが、フランス映画なんかでよく見られる手法で、それを逆手にとってアートとして完成させている作品もある。
それでもそれが、さっきの90%に入らない辛うじての10%の部分だと思う。
話がどんどん横に逸れていってる気がするので元に戻すが、簡潔に言うと映画より得るものが多い本を俺は読み漁りたい。
人間って誰でも死に向かって生きてるわけで、どんな死に様をするかを競っているだけみたいなもんだろ?
馬鹿も利口も宇宙のでかさに比べりゃ殆ど差は無いのはわかってるけど何に対してもベストは尽くしたいじゃん?
それが帳尻合わせでも何でも自分の中の空白のパーツを埋めるのは、結構楽しいぞ。
PR