俺の最も好きな作家でもある故中島らも氏の娘さんが作家デビューするそうだ。
非常に楽しみでもあるが彼女がらもさんの娘でなかったらおそらく一生その作品を読む事は無いのではと思うと若干複雑な心境でもある。
それ程、父上の存在は大きい。
彼の作品は全てがぶっ飛んでいた。
そして、シャイでロックでやんちゃな彼の人生が余すところ無く曝け出されている所に中島らも的男のロマンがふんだんに盛り込まれていたと思う。
それが抜群のリズムと独創性を持った作風、凡人の域を遥かに超えたセンスを持って究極のエンターテインメントとして仕上がっていたんだからどうしようもない。
どうしようもないから平伏すのみだ。
作家っていうのはリアリティーを出す為に実際に現地に行ったり体験したりするだろう?
それが、彼の場合は書く為にというよりも自分がそうしたくて既に体験しちゃった事を書いている部分が結構多い。
だから説得力も有るし引き込まれ具合も格別なんだと思う。
そして、大きな特徴はやはりその作風だと言える。
コピーライターとしても成功した彼はそのつかみから入る書き方を多様している。
最近の民放のニュース番組で必ずやっているあのスタイルだ。
例えば三軒茶屋の銀行に強盗が入って人質と共に立て篭もっているというニュースがあったとするだろう?
そうしたらNHKだと三軒茶屋のから始まるんだが民放だと人質と共に立て篭もっていますって始まってそこで一旦区切るわけだ。
そうする事で緊迫感も出るしその先への興味も増すだろう?
俺はこういう手法をニュース報道で使うのは間違っていると思っている。
NHKはニュースでも民放はニュースショーだろうという所以だ。
でも小説やエッセイだとこれが巧妙な手口であり絶妙なリズムを生む事になるんだ。
そして、彼の上手い所は突拍子も無い舞台設定と言うか意外な組み合わせをする事で偶然が生む意外性を含んだ結末の引き出し方にもあると思う。
これはデペイズマンという手法でアート作品では良く見られるものだが文学でも珍しいという程のものでもない。
だけど彼の場合はその域が違う。
彼が尊敬するウイリアムバロウズはキングオブドラッグと言われるヘロインを使いつつ小説を書いたと言われる人だが全てのドラッグを体験し、アルコール中毒、コデイン中毒でもあった彼もまたその禁断の手法を用いていたと結果的には言えるのかもしれない。
狂気じみたアイデアは努力の賜物とは別世界の必然的偶然から生まれたと言う方がおそらく正解だと思う。
それを非とするのは簡単だがそれは一歩踏み込んでから言って欲しい。
アートと狂気は紙一重であるならばドラッグの是非を問うよりも狂気の世界を垣間見せるのもアーティストとしての意識の高さ故と言えるんじゃないかと俺は思う。
彼の死因は確か飲み屋の階段から落ちて頭を打っての脳挫傷だった筈だが生前彼は奥さんに自分は階段から転げ落ちて死ぬと予言めいた事を言っていたという。
となると、やはり中島らもという人は自分の人生を小説に見立てて最後の結末も見事に書ききったと言えるのかもしれない。
ここまで男のロマンを描き切ったとあらば、やはり平伏す以外に俺の成す術は無い。
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