未だ有名人ではなかった頃にひょんな事から知り合ったCとうちの店にも偶に出てもらっているA君が離婚した。
まさか理想のカップルと言われたあの二人に離婚はないだろうと思っていたがやはり男と女の仲は傍からは分からないものだ。
ただ、二人とも突出した才能の持主なのでこの事を必ずアーティストとしてのプラスに転化させるのは間違いないと思う。
さて、離婚となると自慢じゃないが俺はバツが三つ有る。
人にこの事を話すと大抵は驚かれる。
それは尊敬の眼差しなのか軽蔑のまなこなのかは別にしてギョッとした眼で見られるというのは確かだ。
俺は離婚を悪い事とは丸っきり思っていないし寧ろ自分に正直にというかお互いの事を真剣に考えて出したその時の最高の選択肢であるのならなんら引け目を感じる様な行いではないと思っている。
それがたとえ3回でも10回でも構わない事だ。
という事で今日は男女の別れについて話してみよう。
離婚というのは結婚していたから別れたときに離婚という結果が付いてくる訳だが、じゃあ結婚はしていないけど夫婦生活となんら変わらない事をしていて別れた場合と何処が違うのか。
これも自慢じゃないが俺はそっちの方が離婚回数より遥かに多かったりするのでそこら辺もマスタークラスの蘊蓄を垂れる事が出来る立場だったりするんだ。
これは大した違いは無いだろうと思うかもしれないが実は大有りなんだ。
子供がいた場合の養育費や慰謝料なんかの金銭的な部分の話じゃないぞ。
心の痛手の問題だ。
これは明らかに結婚していた場合の方がでかい。
同棲というのは或る意味衝動的なものだ。
そこに打算というのは殆ど有り得ず純粋という意味では勝るかもしれない。
だが熟成した愛ではない。
それはどういう事かと言うと触れる事が出来ない位の熱さは有るがそれはお互い自分本位の愛である可能性も高いという意味だ。
もし別れたとしても大きく落ち込むのは僅かの時間で回復も早い。
それに対して結婚は身を捨てた部分も有る愛というのが理想形でもある筈だ。
自分本位の愛の形を更に進化させた慈愛を含むものだ。
この状態で別れる事になると悲しいというよりも心にぽっかり穴が空いた様な虚脱感に襲われるんだ。
もう何も空白になってしまった様な感覚だ。
このダメージはもの凄く大きい。
勿論、愛の欠片も残っていずに形だけの夫婦の場合は別だけど。
だけど同棲でも5年10年一緒に暮らしていて別れたら結婚していて離婚するのと同じじゃないのかと思った人も多いかと思う。
果たしてそうだろうか。
結婚という制度自体を認めない主義というのなら大いに解るが50年以上生きてきてそういう人に出会ったのはほんの僅かしか居なかった。
そうでなかった場合は籍を入れないという事でどこかに自衛本能が働いているんじゃないか?
もしもの時の為の逃げ道を作っているんじゃないか?
心のほんの片隅にでもこんな気持ちが有る筈だ。
これは自衛本能としか言えないよ。
それを卑怯だとか何とか責めているんじゃないんだ。
慈愛とは違うと言っているだけだ。
俺が初めて同棲したのは16歳の時だ。
お互い世界で一番愛し合っていると思っていた。
そして二十歳で別れの時を迎えた。
あの時俺達の4年間に自衛の気持ちは全く無かったとその時は思っていた。
だか時を経て振り返ってみれば本当にそうだったとは言い切れない。
同棲というのはそういうものだ。
同棲を振り切った所に結婚があるんだ。
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