南無観世音菩薩。
これを唱えればどんな難関も乗り越えられる。
うっわー、宗教臭え~!
そんな事があるなら誰も苦労しねぇよ。
と思う人が大多数だと思う。
俺もそう思っていた。
10年程前までは。
南無とは何か。
辞書で調べれば帰依すると書いてある筈だ。
帰依とは、信仰する事、信じてその力にすがるという意味だ。
益々宗教臭くて怪しいって思うよな。
俺の解釈は、少し違う。
南無とは、任せる、委ねるという意味だ。
それじゃあ観世音菩薩とは何ぞや?
観世音菩薩とは、慈悲の心を持つ菩薩。
観世音とは、読んで字の如しで、世の人々の音声を観じるという意味だ。
菩薩の説明も一応しとこうか。
菩薩とは、キリストや釈迦なんかの如来とは、別ジャンルの神の事なんだ。
一般に神様ってみんな一緒くたにするけど神様にも色々なジャンルがあるんだよ。
如来、菩薩の他にも宇宙神、ゴッド、アラー、ヤーべ、エホバとも言われるエルランティー、諸天善神、ミカエル、大宇宙の天地創造主というボスみたいな存在もいるし。
その中でこの菩薩というのは、人間界に降りてきてあらゆる存在に姿を変え俺達を助けてくれる神と言われているんだ。
みんなもきっと思い当たるふしが有る筈だ。
困難にぶち当たった時、悲しみのどん底に居る時に誰かの言葉に救われたって経験ないか?
絶対あるよな。
それが友達や家族の時もあっただろうし見ず知らずの人の場合もあったと思う。
逆に自分が誰かを救った事も有る筈だよね。
要するに誰もが菩薩に成り得るって事だ。
言い換えれば菩薩は、俺達の中に居るって事だよ。
そして、俺達がみんなでお互いを守りあっているって事だよ。
だから人と人が繋がり合う事が大事なんだ。
自分自身で何でも解決出来るなんて思っちゃいけない。
みんな誰かに助けられて生きているって事を忘れちゃいけない。
南無観世音菩薩とは、慈悲の心にお任せしますとなる。
そして、その事によって自分が守られたのなら感謝の気持ちも付け加えるべきだよな。
ありがとうございます、だよ。
南無観世音菩薩様ありがとうございます。
勿論、打算抜きの本心でこう言えなきゃ意味がないぞ。
ここまで説明してそれでも宗教臭いし気持ち悪いなんて思うようならおそらく君には死ぬまで理解出来ないと思う。
来世か来々世にまた会おう。
俺は、宗教の話なんか一つもしていない。
これは、宇宙の法則の話だ。
さっきの感謝の言葉を実際に口に出さなくてもいいんだ。
胸に秘めて偶に心の中で唱えてみればいいんだ。
それを1年間続けられたら今日の話の意味が100%納得出来る筈だ。
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