あっという間に今年も3分の1が終わってしまった。
勿論悪い意味でだが、非常に中身の濃い4ヶ月だった。
3月11日という日付は、おそらく死ぬまで忘れないだろう。
当日、俺はリハーサルに立ち会っていた。
自分の企画したイベントの日だったからだ。
我ながら非常にいいメンツを集められたとわくわくしながらリハを見つめていた。
ん?なんか揺れるな。
地震か?
地下でこれだけ揺れるのは非常に珍しい。
ちょっと外の様子を見に行くか。
俺が子供の時っていうのは、何処の家も耐震設計みたいな工法を用いていなかったので震度3くらいでも物凄い揺れを感じたものなんだ。
震度4ともなると家の壁に亀裂が幾つも入るなんて事もあったと記憶している。
子供時代にそんな体験を何回もしてきた事で、幸か不幸か俺にとって地震とは、怖いものという感覚が殆ど無い。
地震に対する免疫がいつの間にやら出来てしまったようだ。
実際、あの日も電信柱が振り子のように大きく揺れ、あっちこっちの看板が落ちてくるかもってくらいの勢いだったが、恐怖心というものは皆無だった。
今思えば不謹慎ではあるが、この程度でビビってんじゃねえよというのが本音だった。
当然、ライブを中止するなんて事は、俺の選択肢の中には無かった。
それが、まさか東北があんな事になっていたとは。
時間の経過と共に予想を遥かに超えた事態であった事を知る。
悪夢のような映像を何回見たことだろう。
そして、最悪の原発事故。
昨日も避難所で90歳を過ぎた御婆さんがインタビューに答えている場面を見て涙が溢れてしまった。
あたしは、もう何年も生きられないけど此処では死にたくないです。
自分の家で死にたいです。
望みは、家で死ぬ事だけです。
国でも東電でも誰でもいいからなんとかしてあげてくれよ!
東北の人達のおかげで俺達東京の人間は、美味い米や野菜を食う事が出来た。
福島原発だって東京が電気をいっぱい消費するから造られた物だ。
募金をするだけでいいんだろうか?
ゴールデンウィークを使ってボランティアに行く若者が大勢いるようだ。
頑張って少しでも現地の人達の力になってほしい。
俺も行きたいと思うが仕事に対する責任がある。
歯痒い。
東京に居ながらにして現地の人達の為に何が出来るのか。
俺は、取り敢えず毎日食う飯は、被災した県で作られた野菜を中心に作っているが、こういう事も少人数じゃ焼け石に水で終わってしまう。
でも、東京中の1300万人が同じ行動に出たら少なからず支援にはなる筈だ。
みんなで真剣に考えればもっと色んなアイデアも出て来る事と思う。
電話でもメールでもファックスでも何でも良いからアイデア募集だ!
連絡先は、H.Pに全て出ているぞ。
それをこのブログで採り上げるから頼むよ!
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